口悦について
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『⼝悦』今昔物語
〜創業者・初代⼥将 渡邉純⼦〜
写真:宮澤正明
かつて⾚坂で名を馳せた名料亭『⼝悦』。その趣を受け継ぐ割烹 『⾚坂 ⼝悦』は、いまはビルの1階にのれんを掲げています。
のれんをくぐると、⽯畳のアプローチに提灯 (ちょうちん)の灯り。
カウンター座席や扉に⾄るまで、まるで往時の料亭『⼝悦』にいるかのような錯覚を誘います。
創業
料亭をはじめる前、創業者の⼥将、渡邉純⼦さんは⼩料理店 『⼝悦』を営んでいました。現在と同じ割烹料理店です。
お店を開くにあたり、以前より交流のあった映画監督の⼩津安⼆郎⽒が、
店名を「⼝が悦ぶように」との願いを込め『⼝悦』と名付けてくれました。
やがて昭和37(1962)年、数多くの料亭が軒を連ねていた⾚坂で、
⼥将の⺟が営んでいた料亭『⻑⾕川』の跡地に、料亭『⼝悦』を開業しました。
本格的な数寄屋造りの建物に、四季折々の彩りを映す⼿⼊れの⾏き届いた庭園。
六つの座敷に「こしかけ」と呼ばれた割烹席とバーラウンジ。
客室からは庭園を望み⽔盤(すいばん)から⽔がさらさらと流れ落ち、涼やかな⾳を響かせていました。
そして⼥将の細やかな⼼遣い――。
歴代⾸相や政治家、財界⼈などが訪れ、この料亭で⽇本の⾏く末が語られ、エンターテインメントの構想が練られたのかもしれません。各界の名⼠に愛された料亭が『⼝悦』です。
「⾼校⽣の頃は、料亭を継ぐのは嫌でした。
でも⼩料理店を始めてみると、料亭と⺟の⼥将という仕事にだんだん魅⼒を感じてきて、
機会にも恵まれて料亭を始めることにしたんです」。
⼥将は当時を振り返ります。
『⼝悦』と名付けたとき、映画監督の⼩津安⼆郎⽒が⾃ら筆を執った書は、
以来、ずっと店を⾒守り続け、今も『⾚坂 ⼝悦』に飾られています。
多くのお客さまをお迎えした⾚坂の料亭『⼝悦』。
現在の割烹『⾚坂 ⼝悦』に多くの思い出と建材を移築した。
⾷
料亭の楽しみのひとつは、旬を先取りする贅沢にあります。⾷材が市場に出回る少し前から四季を味わえる場所。料亭『⼝悦』では、季節の素材を⽣かした伝統の江⼾懐⽯でお客さまをお迎えしながら、時季物をいち早く取り⼊れるだけでなく、本当においしい旬や産地へのこだわりを⼤切にしてきました。こうした 「旬」と「味」への強いこだわりは、いまの 『⾚坂 ⼝悦』にもしっかりと受け継がれています。そして『⼝悦』には、何よりも家庭料理的な⼀品料理が豊富にそろっています。
「料亭では皆さまコース料理を召し上がります。しかし、何度かご来店いただくうちにお客さまのなかには飽きてしまう⽅もいらっしゃいます。また、⼀⽇に何軒か回られるお客さまにとっては、⼀品ずつ召し上がるのは重いこともあります。そうしたなかで『⾃分の好きなものだけを⾷べたい』というお声をいただいたのです。それからは、⾼級居酒屋のようにご利⽤されるお客さまもいて、私も『材料さえあれば何でもお作りします』と申し上げたことから、家庭料理的なメニューが増えていきました」。こうして⽣まれた⼀品料理は、料亭『⼝悦』から、割烹『⾚坂⼝悦』へと受け継がれ、今も多くのお客さまに親しまれています。
建築家の⿊川紀章⽒も、そんな家庭料理を楽しみに通った常連のおひとりでした。「カウンターの⼀番右端は、⿊川先⽣がいらっしゃるからと、いつも空けていたんです。移転してからも、『ここは⿊川先⽣の席だ』とおっしゃるお客さまも多いんですよ」と⼥将は懐かしそうにカウンターを⾒つめていました。
佇まいを受け継ぐ
平成29(2017 年)、⼥将の体調もあり、料亭『⼝悦』は惜しまれつつ⼀旦閉店しました。しかし、⼥将の「やっぱりまだやりたい」という思いと「⼩さなお店だったら負担も少ない」との後押しを受けて、現在の地に、『⾚坂 ⼝悦』が誕⽣します。
カウンターもラウンジもアプローチも、「こしかけ」に⼊るトビラまで、かつての料亭『⼝悦』から移築し、徹底的に再現しました。かつてあった座敷の欄間 (らんま)の装飾は⼩物の収納扉に取り⼊れるなど、随所に料亭『⼝悦』の⾯影がちりばめられています。常連客は現在の内装に⽬を細め、「料亭『⼝悦』のままだ」と喜んでくださる⽅も多いのです。
その後、⼥将は年齢的なこともあり、店を閉めることにしましたが、ご縁のある現オーナーからの熱い思いを受け⽌め、『⾚坂 ⼝悦』を従業員も内装もそのまま、再開することになりました。
不死⿃のようによみがえり、いまもなお、⾓界の名⼠が集う、安らぎの場となっています。
建物や料理だけでなく、⼈々の想いや時代の息づかいこそが料亭の魅⼒を作ってきました。『 ⾚坂 ⼝悦』は、過去と現在をつなぐ空間として、今⽇も変わらぬ「⾷」を提供し続けています。
かつての料亭『⼝悦』のアプローチ。現在の『⾚坂 ⼝悦』のアプローチに再現されている。
お座敷に使われていた欄間の装飾は造り棚として⽣かされ、お⾷事を楽しむお客さまを今もお迎えしています。
割烹席の⼊り⼝には、中川⼀政画伯が書いた「こしかけ」の⽂字。
「腰掛けじゃ⾯⽩くないだろう」と筆をとり「こしかけ」としたためてくださった。
ラウンジにかけられた「⽵」の⽂字。料亭『⼝悦』にいらっしゃっていた、草⽉流の⼆代⽬家元の勅使河原 宏⽒が書いてくださった。